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関係者インタビュー  

「子供たちに草原の価値を伝えることが重要」
 岡村宗十四氏インタビュー 

<プロフィール>
池の窪牧野組合組合長。白水生まれ、白水育ち。70歳。農業・畜産業を営む傍ら燃料販売を始めて40年位になる。

岡村宗十四氏の写真

質問

 

岡村さんと草原との関わりについてお聞かせください

 私が子供の頃、父は畜産組合に勤めていました。家では牛を飼っていました。休みの日には干し草刈りなどで山に連れていってもらったものです。家族で草刈りに行くことは、山に遊びに行くという感じで楽しかったし、そのなかで自然に手伝いも覚えていきました。
  戦後、牛の人工授精が始まった初期に免許を取ってから、長年、地域の畜産振興に関わり、草原を利用し、原野の恩恵を受けてきました。



質問

阿蘇の人々はどのように草を利用していたのですか? 刈り干し切りの様子なども教えてください。

 かつては隣保組14軒のうち12軒に牛がいて、朝草刈りや干し草刈りはどの家でも大事な仕事でした。刈った草は牛の飼料や厩舎の敷き料にするほか、風呂炊きに使うこともありました。
  昭和28年頃までは、山のてっぺんまで全て草を刈っており、刈り干しの時期には1日に3回、草刈り場までの距離が遠い家でも1日2回は草刈りに行ったものです。刈った草は牛に鞍をつけ6把(1駄)ずつ背負わせて持ち帰り、それ以外は草小積みにしていました。
  御竈門山や烏帽子岳山麓の共有の採草地のほかに、我が家では私有地を刈り干し場にして草を確保していました。それくらい草が必要だったのです。
  しかし、だんだんと草の利用が減り、個人の草刈り場は植林地に転換し、それから40年位たちます。



質問

昔は、たくさんの草が必要とされていたのですね。

 そうです。草は重要なものだったので、野分け(共同利用している採草地の土地を配分すること。各農家の牛馬飼育の規模、牧道からの距離、草立ちの状態など、さまざまな条件が加味されて配分される。)をした後、間違って他の人の場所で草を切ってしまった場合でも、その草を持って帰ることはできませんでした。

  毎年地区ごとに野分けをして各家で草刈り場所を確保していましたが、野分け会議中に話を聞いていなくて分配に漏れた人にも、リーダーが結局何とかしてあげるというようなこともありました。原野の草がなければ農業も畜産もできないということで、地域の中での支え合いがあったのだと思います。

  登山道路沿いに野分けをせずに草刈を行う場所がありますが、そこでは彼岸の最後の日(ケチガン)、朝6時過ぎの始発列車の汽笛を合図に一斉に草刈りを始めたものです。競って、草や作業の条件がいい場所取りを行って草を刈りました。

  しかし高度経済成長期に入り、牧野道が上までできたとたんに草を切る人がいなくなりました。ハウス栽培が始まって農業が忙しくなったのも草原に皆がいかなくなった理由のひとつです。今は草が余っていて本当にもったいないと思います。草刈りをしていれば野焼きも楽になるのですが。我が部落の採草地ではまだ草を刈る人がいるため、今も集落の作業として毎年、牧野道の小払いを続けていますが、もうやらなくなった部落が多いのではないでしょうか。



質問

草の利用が減っても、野焼きを続けていらっしゃるのはどうしてですか?

 野焼きは共有の採草地で行われ、区で管理をしています。草の利用が減っても、中松の3つの地区で御竈門山全体の火入れを続けています。

  野焼きを続けているのは、山火事や水害を防ぐためです。登山道路ができて観光客が増えたので、火の不始末などで枯れ草に火がつくと山火事になる恐れがあること、また昭和28年の水害で地滑りがあり死傷者が出るなど被害が大きかったため、野が荒れると水害になるという共通の認識があるからです。

  ところが、今の若い人達には昭和28年の水害の記憶がないこともあり、野焼きはもうやめた方がいい、と言う人もいるのが現状です。

  御竈門山は、区がとりまとめ、各集落で担当エリアを分けて野焼きをします。集落が申し合わせて野を焼くことは、慣行のように、やり方が言い伝えられ引き継がれてきました。それが変わった場合は危険で、火の流れが変わったときに対処できないことにもなります。以前、登山道路のトンネルの手前で、危険だと止めるのも聞かず、見物客が自ら危険な箇所に出ていって事故を起こし、訴訟問題になったことがあります。そんなこともあり、今年春の野焼きからは登山道路沿いは道路を閉鎖して焼くようになりました。野焼きのやり方で昔から変わったのはそれくらいです。

  久木野では10年くらい前に労力がかかって大変だということで野焼きを中止しましたが、山火事の危険性があるため再開しています。2、3年火を入れなかっただけで、再開した時は2日も3日も燃え続けていたそうです。それ以来、久木野では野焼きを続けています。


質問

御竈門山の輪地切りは阿蘇で最も困難な箇所の一つと伺っていますが。

 防火帯切りも部落で分けてやります。若い人も出てくるので一応引き継がれています。

  たとえ野焼きをやめても、防火帯はきちんと切っておかなければなりません。この辺は上が原野で下が山ですから火が山まで降りてきたら危険なため、焼かなくても防火帯は切っておく必要があります。池の窪の長陽側(夜峰山)では長年野焼きをしていませんが、万が一草に火が入ったら山まで火がいくため、毎年防火帯は切っています。


質問

今後も野焼きや輪地切りを続けていきますか?

 我々の年代の人間には、水害災害への危惧など公共的な意識から、草原が収入を生むものでなくなっても守らなければならないという義務感が備わっています。

  でも、若い人たちは原野や山を財産とは考えず、ない方がいいくらいに思っているのではないでしょうか。ですから、作業の時には、若い人達に管理作業を続ける意味などを話すようにしています。山は価値が下がったとはいえ地域の財産であり、それを守るため維持・管理も継続していきたいと思っています。


質問

今後の阿蘇の草原保全についてどのようにお考えですか?

 阿蘇の草原を守っていくためには畜産を振興していくことが第一です。そのための施策、支援も必要だと思います。また、これだけの自然、資源を、うまく利用しないのはもったいないと思います。野草には薬草が混じっているので牛を養うにも非常にいいのです。今でも干し草刈りに行きたいのですが、時間がなくてなかなか行けないのが現状です。

  牛もいず管理ができなくなってきて草原を植林化するという傾向にありますが、この辺は火山灰土壌であり木を植えても良い山にはならないでしょう。

  池の窪では登山道路の上や、夜峰山のテレビ搭あたりからの眺めが本当に素晴らしい。地元に住む若い人達は、ここの景観の素晴らしさについてあまり考えず、ただ山の守りが大変だと感じている方が多いのが現状です。でも、ここで生まれて都会に行っている人達は、帰ってくると地元の良さや景観の素晴らしさを感じるようです。

  草原は守っていかなければいけません。今はグリーンストックのボランティアで助かっていますが、それがなくなればどこまで管理が続けられるか問題です。旧白水村では村が予算を組んで野焼きの出役に1日5000円の日当を出していました。今後の維持管理については、行政が主導していかないと、個人で守っていくには限度があると思います。

  一方で、学校教育の現場で草原の価値や野焼きの意味などを教えていくことが重要です。池の窪牧野内にふれあい交流館ができたので、子供たちに草原を身近に感じてもらう場、環境学習の場としてうまく使っていけたらと思っています。現在、施設は村が管理していますが、地区と役場が連携して小さなイベントなどを企画して、さらに環境省にも協力してもらって有効に利用していけたらいいと思います。そして、みんながこの素晴らしい景観を残していかなければならない、と思うようになってくれることを望みます。

 
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